大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 昭和43年(行ウ)6号 判決 1971年12月08日

原告 安達芳太郎

被告 長崎税務署長

主文

被告が原告に対して昭和四二年六月二二日付でなした原告の昭和四一年度分所得税および同所得税の無申告加算税の各課税決定は、営業所得につき九九六、五九〇円を越える金額を認定してなした部分をいずれも取り消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

一、被告が原告に対して昭和四二年六月二二日付でなした原告の昭和四一年度所得税八二二、四〇〇円の決定のうち金二四、五三〇円を越える部分および同所得税の無申告加算税金八二、二〇〇円の決定のうち金二、四〇〇円を越える部分について、いずれもこれを取消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

(請求原因)

一、被告は原告に対し、昭和四二年六月二二日付で原告の昭和四一年度所得税を八二二、四〇〇円と、右所得税の無申告加算税を八二、二〇〇円とそれぞれ決定した。

二、そこで原告は、昭和四二年七月六日被告に対し右決定に対する異議申立をしたが同年一〇月二日付をもつてこれを棄却する旨の決定を受けたので、原告はさらに同月二八日福岡国税局長に対し右棄却決定に対する審査請求をしたところ、同局長は昭和四三年四月二五日付でこれを棄却する旨決定した。

然しながら、被告のなした各決定は原告の総所得金額を過大に評価した違法がある。すなわち、

(一)、原告は機船「第一信丸」を所有し、同船により長崎市深堀町と西彼杵郡香焼町間の海峡において旅客、貨物の運送に従事していたものであり、原告の長男である訴外安達秀郷も昭和三八年一二月頃機船「信丸」を購入して自らも同船に船長として乗船し、原告同様右深堀、香焼間の旅客、貨物の運送に従事していたものであり、原告の長女中村幸子も昭和三九年春頃「第二信丸」を購入して訴外犬塚秀雄を船長として雇傭し、原告同様右深堀、香焼間の旅客間の旅客貨物の運送に従事していたものであつて、右三隻の船の運賃収入はそれぞれ各船の所有者の収入に属するものである。この点について、被告は九州海運局長崎支局に提出してある資料によれば「信丸」、「第二信丸」の所有者はいずれも原告となつていること、右二隻の船の進水年月日からその当時年少者であつた訴外秀郷、同幸子が船を購入し取得することは考えられないこと、昭和四一年当時右両名は長崎に居住せず運送事業に従事できるような情況になかつたこと、航路補償金は原告が三隻分について全部受領していること等から「信丸」、「第二信丸」による所得も原告に属すると判断しているようである。しかし、昭和四一年頃運行されていた「信丸」、「第二信丸」は九州海運局長崎支局に届出られた船とは異なり、それらの船は廃船となつたため前記のとおり訴外秀郷、同幸子らが昭和三八、九年頃他から船を購入して「信丸」、「第二信丸」として運航させていたものであり、秀郷が大阪へ転出したのは航路が廃止になつた後の昭和四二年五月二〇頃であつて、幸子も昭和四〇年頃婚姻して大阪へ転出したが、「第二信丸」を購入した頃から、前記のとおり犬塚秀雄を船長として雇傭し、運賃収入から犬塚の給与及び諸経費を控除した残額を取得していたのである。また、航路補償金についても原告は三名の分を代表して受け取つただけのことであつて、後に秀郷、幸子の両名に対して原告からその取得すべき分が渡されている。

然るに、被告は原告の昭和四一年度の総取得額を決定するにあたつて、右事実を無視し、右「第一信丸」以外の二隻の船の運賃収入をも原告の所得として総所得金額に算入して、三、四一二、三五〇円と決定している。

(二)、右昭和四一年度分の総所得金額の内訳は、営業所得一、一二九、三五〇円、航路補償金二、二八三、二〇〇円となつている。しかし、

1、右航路補償金は長崎県が公有水面埋立法に基いてなした長崎外港臨海土地造成事業に伴い、当該水面に航路権を有していた原告らに対し、右航路の廃止による補償として昭和四一年六月末日頃長崎県知事から交付された金員であつて、かかる性格からして右補償金の取得は租税特別措置法第三一条第一項第七号の補償金若しくは所得税法第三四条の一時所得に該当するものというべく、所得額の決定にあたつても右各法規に定められた算定方法がとられるべきである。そうすると、原告自身の取得した営業補償金は右金額の三分の一に過ぎず、且つ右補償金の収入については前記各法規に定められた控除がなさるべきであるから、課税対象となる所得額は三七三、〇三三円とするのが正当である。

2、営業所得についても、前記金額から訴外両名の所得を控除すべきであり、且つ原告が昭和四一年度に「第一信丸」によつて営業をしたのは同年六月末までであつて、その間の営業所得は二〇八、二三〇円である。

(三)、右のとおりであるから、原告の昭和四一年度の総所得金額は合計五八一、二六三円であつて、右金額を基礎とすると所得税額は二四、五三〇円、無申告加算税は二、四〇〇円となり、被告の本件課税決定のうち右金額を越える部分は取り消されるべきである。

三、被告のなした本件決定は手続的にも違法である。けだし、被告は原告の昭和四一年度の総所得額を定めるにあたつて、原告の帳簿類の審査をすることもなく、又原告に出頭を求めて面接調査をすることさえも一度もなかつた。かかることは所得税法上認められた推計課税の許容範囲を逸脱した不当違法な方法であるといわなければならない。而して、かかる杜撰な手続の結果独立の事業体である訴外秀郷、幸子の所得をも原告の総所得額に加算するという過誤をおかすに至つたものである。

四、よつて、原告は被告に対し、原告の昭和四一年度所得税の決定のうち二四、五三〇円を越える部分および同所得税の無申告加算税の決定のうち二、四〇〇円を越える部分について、いずれもその取消を求める。

(請求原因に対する答弁および被告の主張)

被告が原告主張の如き課税処分をなし、原告がこれに対し行政不服申立をなしたが、これが棄却されたことは認め、その余は後記被告の主張と相容れない限度ですべて争う。

一、所得の帰属について。

(一)、「信丸」の所有者については、原告が九州海運局長崎支局に昭和二八年一二月に提出した「旅客定期航路事業免許申請書」に添付した「使用船舶明細書」および昭和二九年五月二七日に提出した「積量に関する証明願」にいずれも「信丸」の所有者は原告である旨明記されており、「第二信丸」の所有者については、原告が右支局に昭和二九年一二月二日に提出した「積量に関する証明願」および昭和三〇年二月二六日ならびに同年五月一〇日に提出した「旅客定期航路事業代船使用届」のいずれにも第二信丸の所有者は原告である旨明記されている。

(二)、前記「使用船舶明細書」には「信丸」の進水年月日は昭和二三年六月と明記されており、原告がその所有者であると主張する訴外秀郷は右進水当時未だ一一才の年少者であり、前記「積量に関する証明願」には「第二信丸」の進水年月日は昭和二五年五月と明記されており、原告がその所有者であると主張する訴外幸子は右進水当時未だ一四才の年少者であつた。

(三)、訴外秀郷、同幸子の両名はいずれも海上運送法上の免許を有せず、訴外秀郷は昭和四一年五月二〇日に、同幸子も昭和四〇年二月一五日に、それぞれ大阪へ転出しており、同人らが長崎で海上運送事業を営める状況にはなかつた。

(四)、長崎外港開発総局からの補償金は「信丸」、「第一信丸」、「第二信丸」の三隻分についていずれも原告が受領している。

以上の各事実を綜合すると、「信丸」、「第二信丸」は「第一信丸」とともに当初から原告の所有であつたのであり、原告はこれらの船舶を使用し、自己の事業として旅客定期航路事業を継続して営んできたものであつて、所得の全部が原告に帰属すべきものとした本件処分に何ら違法はない。

二、原告の昭和四一年度分の事業所得について、被告のなした決定処分の内訳は次のとおりである。

1、運賃収入 一、七〇二、二〇〇円

右は本件航路の営業廃止に伴つて長崎県長崎港開発総局の算定した航路補償金算定調書に基いて算定した金額であり、「第一信丸」、「第二信丸」、「信丸」の三隻分の合計収入金額である。

2、一般経費 五六四、七四〇円

金額の把握方法については運賃収入の場合に同じである。

3、雑収入  二、二七四、九〇〇円

右は本件航路の廃止に伴つて、長崎県が原告に支払つた航路営業補償金を事業所得の収入金と認めて雑収入に計上したものである。事業所得の収入金と認めた根拠は、税務計算上は「営業の全部もしくは一部の転換または廃止により受けるいわゆる営業補償金のうち、営業権の対価と認められる部分以外の部分」は事業所得により生じた収入金と解すべきであり、これは所得税法第二七条第一項の趣旨を敷衍した正当な考え方である。本件航路補償金については長崎港開発総局の算定調書によれば営業権の対価相当分は含まれていないから、これを事業所得の収入金と判断したものである。

よつて、右運賃収入と雑収入の合計から一般経費を控除した三、四一二、三五〇円が原告の昭和四一年度分の事業所得と算定したものである。

三、原告は、昭和四一年度分所得税の確定申告を法定期限までになさず、被告の調査にも何ら協力せず、帳簿書類の提出もしなかつたので、被告が己むを得ず原告が公有水面の埋立に伴い受領する補償金算定の関係で長崎県長崎開発総局に提出していた資料に基き原告の同年度分の所得の調査を行い、前項のとおり運賃収入、一般経費および雑収入の金額を把握して所得金額を計算したものであつて、本件決定手続に何ら違法な点はない。

第三、証拠<省略>

理由

一、被告が原告に対し、昭和四二年六月二二日付で、原告の昭和四一年度所得税を八二二、四〇〇円と、右所得税の無申告加算税を八二、二〇〇円と、それぞれ決定したこと、右決定に際して被告は、原告の昭和四一年度総所得金額を三、四一二、三五〇円(被告はその内訳を、運賃収入一、七〇二、二〇〇円から一般経費五六四、七五〇円を控除した一、一三七、四五〇円と、営業上の雑収入に該当する航路営業補償金二、二七四、九〇〇円と主張している。)と決定したこと、また右所得の算定にあたつて、被告は「信丸」、「第一信丸」、「第二信丸」の三隻の船舶はいずれも原告の所有に属し原告はこれらの船舶を使用して自己の事業として旅客定期航路事業を営んでいたとの前提に立つて、右三隻の船舶から生ずる収入すべてを原告の所得に属するものとして総所得金額を算出したこと、なお原告は、右決定に対して主張するような行政不服申立をなしたこと等の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、所得の帰属について。

原告が「第一信丸」を所有し、これによつて長崎市深堀町と西彼杵郡香焼町間の海峡において旅客定期航路事業に従事していたこと、従つて同船舶から生じた収入が原告の所得に帰属すること、については当事者間に争いがない。

そこで右以外の「信丸」、「第二信丸」が何人の所有に属するものであるか、またこれら船舶から生ずる収入が誰の所得に帰属するかについて判断するに、成立に争いのない甲第一号証の一、二、甲第二、三号証、甲第四、五号証の各一、二、乙第一号証の一乃至三、第二乃至第五号証、証人安達秀郷、同犬塚英雄の各証言および原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すると次の事実が認められる。

1、原告は昭和二八年頃から九州海運局長の免許を得て香焼、深堀間の旅客定期航路事業に従事していたが、その間汽船「第一信丸」の外「信丸」、「第二信丸」を所有しこれを同事業のため使用していた。ところが昭和三八年一二月頃右「信丸」は朽廃したため原告は、これを廃船にし、その際原告の長男である訴外安達秀郷が旧「信丸」の就航の権利を承継することとして他から中古船を購入し、これに改造を加えて自己の所有船舶とし、同一船名を用い「信丸」として九州海運局長崎支局長に届出、船舶検査合格証を得て昭和四一年七月頃まで就航させていた。また、右「第二信丸」も昭和三九年五月頃朽廃したため原告の長女である訴外中村幸子(旧姓安達)が同様他から中古船を購入し、同じくこれに改造を加えて自己の所有船舶として九州海運局長崎支局長に届出、船舶検査合格証を得て昭和四一年七月頃まで就航させていた。

2、原告は本件香焼、深堀間の旅客定期航路事業について唯一人の免許取得者であつたが、海上運送法の改正により一二人以下の旅客定員を有する船舶には免許は不要となり、昭和四一年頃には本件航路に全部で九隻の船が一二人以下の旅客定員を有するものとして免許を得ずに就航していた。そこで各業者は任意組合を結成し共通の乗船切符を発売することによつて各船舶の運賃を一旦全部組合の手にとりまとめ、これから桟橋の借料等の経費を控除した残りを各船ごとに均等割りにして配分していた。

3、訴外安達秀郷は、昭和三七年一〇月婚姻してから父親である原告と別居し、昭和三八年一二月新たに「信丸」を取得してからは自らこれに船長として乗り込んで香焼、深堀間の旅客定期航路事業に従事し、原告とは生計を異にしてもつぱら「信丸」の運賃収入によつて生計を維持していたが、昭和四一年七月頃香焼、深堀間の埋立工事が開始されるに及んで右事業をやめ、翌四二年五月二〇日転職のため大阪へ転出した。また訴外中村幸子は高校卒業後会社事務員として働き、昭和三九年五月「第二信丸」を購入改造するについては自己の貯蓄から費用を支出し、右船舶に義兄にあたる訴外犬塚英雄を雇傭して乗船させ、同人の給料として「第二信丸」からの運賃収入を折半して与え残りの半分を利益として同女が取得していた。昭和四〇年中村幸子が婚姻して大阪に転出後は、同女の受け取るべき運賃収入は、同女の指示にもとづき同女の祖母にあたる訴外山崎ユキに生活費として与えられ、原告には全く渡されていなかつた。

以上の認定に反する証拠はない。

右事実によれば、昭和四一年当時の「信丸」、「第二信丸」の所有者は原告ではなく、それぞれ訴外安達秀郷、中村幸子であること、これら船舶による香焼、深堀間の旅客定期航路事業はそれぞれその所有者がその営業主体であり、右営業は従前原告の取得していた事業免許とは無関係であることが明らかであつて、「信丸」の運航による事業所得の帰属者は安達秀郷、「第二信丸」の運航による事業所得の帰属者は中村幸子であるといわなければならない。

原本の存在成立に争いのない乙第八号証、証人長谷川隆康の証言によれば、被告ないし被告の決定に対する審査請求につき棄却の決定をした訴外福岡国税局長は、「信丸」、「第二信丸」の事業所得の実質的帰属者を原告と判断した根拠として、本件航路の廃止にともない長崎外港開発総局が支給した補償金について、原告が「第一信丸」の分とともに右二隻の船舶の分についても一括して受領し、右二隻分についての補償金が秀郷、幸子に渡されたとの原告の主張を裏付ける証拠がないこと、昭和四一年当時「信丸」、「第二信丸」の所有名義人である秀郷、幸子の両名は長崎を転出していること、その進水年月日当時両名は年少者であつたことなどから、右両名は単なる名義人にすぎず実質上の所有者は原告であるとみられること、等をあげていることが認められる。しかしながら、「信丸」、「第二信丸」の所有者が秀郷、幸子であり、その取得の経緯や時期に格別不審とすべき事由のないことは前記認定のとおりであり、補償金の受領者が「信丸」、「第二信丸」についても原告であることや、これらの補償金が原告から名義人である秀郷、幸子にそれぞれ渡されたことの裏付がないというような事実は、後記認定の事情を考慮すれば別段異とするには足りない。

前掲乙第六号証中原告本人の供述部分、証人浜田休造、同安達秀郷、同犬塚英雄の各証言、原告本人尋問の結果によれば、原告がその子である秀郷や幸子の分まで自己の名で補償金の交付を申請しこれを受領したのは、他の同業者と違つて原告が当初九州海運局長の免許を受けた業者であることを理由として他の同業者よりは多額の補償を受けようと考えたについて、もともと原告は三隻の持船で営業していたこともあつて、そうすることが外形上さほど不自然でなく、秀郷や幸子も原告が自分達に代わつてその手続をとることに異存がなかつたからであること、原告が受領した補償金の中からは秀郷の借金二六〇、〇〇〇円、「第二信丸」の船長犬塚英雄の退職金七五、〇〇〇円が各支払われたほか、実際に秀郷や幸子に交付された分もあり、かなりの部分が昭和四一年頃原告が建築していた家屋の建築資金に使用されているとはいうものの、必ずしも補償金の全額が原告のためにのみ使用されたのではないこと、を肯定し得るのであつて、補償金受領の日時やその処分の時期・方法に関する原告の供述が的確でないからといつて、それだけの理由で補償金は原告が全額費消したものということはできない。そうすると、従来別個の事業としてその所得も別個の主体に帰属していた本件「信丸」および「第二信丸」による旅客定期航路事業につき、航路の廃止にともない交付された補償金が特に実質的に原告に帰属したと認むべき事情はこれを肯定しがたいから、右補償金についても運賃収入と同様、「信丸」についての分は安達秀郷の、「第二信丸」についての分は中村幸子の、所得とみるのが相当である。

三、航路営業補償金の性格について。

成立に争いのない乙第七号証の一乃至六、原本の存在成立とも争いのない乙第八、九号証、証人金子一郎、同長谷川隆康、同浜田休造の各証言によれば、本件航路補償金は航路営業補償、船舶売却損補償、船員離職補償の合計からなり、そのうち航路営業補償は本件香焼、深堀間の航路廃止に伴い長崎県訓令第六一号第四三条に基いて、転業に通常必要とする期間中の従前の収益相当額を補償するものとし、原告の提出にかかる資料に基いて過去二年分の平均営業収益を算出し、これを基準に将来二年分の収益相当額が右航路営業補償として支払われたこと、本件香焼、深堀間の旅客定期航路事業は海上運送法による運輸大臣の免許は不要であつて、何人でも航路の利用状況から許可されない場合を除いては海運局の許可によつて営業することができたこと、航路の免許を他人に譲渡する場合も海運局長に対して「譲渡、譲受認許申請書」を提出することによつて譲渡できるが、その際取引の慣習ではいわゆる航路権ないしは営業権の代価というものはなく単に船舶代金によつてのみ取引されていること、従つて本件航路営業補償の中にも漁業権、鉱業権等の消滅に対する対価補償に類するものは含まれていないことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そして所得税法施行令九四条二号によれば、当該業務の全部又は一部の休止、転換又は廃止その他の事由により当該業務の収益の補償として取得する補償金その他これに類するものについては不動産所得、事業所得、山林所得または雑所得の収入金額となるとされており、前記認定事実によれば、まさに本件航路営業補償の場合は同条に該当することが明らかである。そうすると、本件航路営業補償金は事業所得の収入金と解すべきであつて、航路権ないしは営業権の対価たる補償であつて譲渡所得にあたるとする原告の主張は失当である。

四、ところで、被告は原告の昭和四一年度の運賃収入については、原告が補償金算定の資料として長崎県長崎港開発総局に提出していたものに基いて所得調査を行つたと主張するが、原告らは前記第二項に認定のとおり、昭和四一年度は七月頃にはすでに旅客定期航路事業を辞めているのであるから、年度全般を通じて事業を継続したことを前提とする右資料に基いて昭和四一年度分の運賃収入を算定することはできない。原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第六号証によれば、原告の「第一信丸」による昭和四一年一月から事業を継続した同年六月までの運賃収入から経費を控除した収益額の集計は二〇九、三九〇円であるとされて居り、その記帳はずさんであり誤算も含まれているけれども、被告主張の三隻分一年間の収益の三分の一の二分の一より高く、乙第七号証の五の「第一信丸」の、昭和三九、四〇年の平均年間収益額の二分の一より高いところからみて、同金額をもつて右期間の収益額と認むべきである。原告にこれをこえる営業上の収益があつたことを肯定せしむべき証拠はない。

五、以上の結果、原告の昭和四一年度の総所得金額は「第一信丸」による運賃収益二〇九、三九〇円と、前顕乙第七号証の五によつて認められる「第一信丸」の航路営業補償金七八七、二〇〇円の合計九九六、五九〇円であつて、右航路営業補償金については事業所得の収入金と解するのが相当であるから、原告の本訴請求は同年分の事業所得につき九九六、五九〇円をこえる金額を認定してなした部分の被告の課税処分の取消を求める限度で理由があるので正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 蓑田速夫 塚田武司 大石一宣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例